U-MA観察記録

世の中には不可解なことが多すぎる

皇居外苑で全裸の外国人と見つめ合った記録

あれは2018年の夏のことだった。


公園でブルーシートを広げ、パソコンなんかをイジりながら友人と過ごすのが私の趣味の1つだ。


その日も友人と約束をし、朝8時に東京駅に集合して皇居外苑に向かった。


早朝とはいえ、やはり人気のスポット。ゆったりとベンチで本を読む人もいれば、外国人観光客だろうか。ガイドを先頭にせわしなく園内を巡っている人もいた。芝生の上にテントのようなものを立て、まるで実家にいるかの様にゆっくりしている人もいた。


私達も適当な芝生にブルーシートを広げ、パソコンやお菓子を取り出してくつろぎ始めた。 木漏れ日が差し込む温かい場所で、友人と周りを気にせず話しながら自分の好きなことをやる。これ以上の癒やしがあるだろうか。いやない。


しばらくそんな時を過ごしていると、コーヒーを飲みすぎたせいだろうか。尿意のためトイレに行きたくなる。人間は生理的欲求に逆らうことはできない生き物だ。この場で私が取れる選択肢は2つ。その場で致すか、トイレで致すかである。


前者は即座に欲求を解消できる一方、人間的尊厳と大切な友人を両方共失う可能性が高い。後者は人間的尊厳と大切な友人を両方とも守ることができる一方、園内の数少ないトイレまで行かなくてはならない。私は熟考し、トイレに向かうことにした。


しばらく歩いていると、観光バス乗り場の横に公衆トイレを発見した。


中に入ると、想像していた公衆トイレの5倍くらいキレイだった。4つ程ある個室のドアはすべて開いており、小便器にも人の姿はなかった。会社のトイレもこのくらい空いていればいいのに。以前、とてもお腹が痛い時にトイレの中からキーボード音が聞こえてきてブチ切れそうになったことを思い出した。


そんなことを考えながら、ここに来た目的を果たすことにした。一番奥の小便器の前に立ち、体内の水分を排出し始めた。


ところで、男は立ちションをしている最中にオナラをしたくなることがある。開放されたがっているのは膀胱だけではないのだ。とはいえ小便をしながら屁をこくのは、そこがトイレであってもなんとなく気恥ずかしい。故に多くの男は「小便をしながらスカしっぺをする」能力を持っている。たまにいる無能力者が大きな音を出し、能力者達に白い目で見られるのは男子トイレの日常である。


私も例に漏れず、オナラをしたくなった。


周りに人がいれば、多少なりともコストを要するが "能力" を発動するだろう。しかし今、トイレの中にいるのは私だけだ。それならば...

「ブッ」


想像したより大きな音が出て笑ってしまった。油断とは恐ろしいものだ。普段怒らない人が怒ることがより怖いのと同様に、普段鳴らせていない音ほどいざ鳴らした時により大きい音がでるのだろうか。


さすがに今のを人に聞かれていると恥ずかしい。私はおもむろに振り返り、トイレの入口を確認した。誰も入ってきてない。よかった。安心感を覚えながら視線を正面に戻そうとした時、視界の端に違和感を覚えた。




ゆっくりと、その違和感に、視線を、移していく。




私は自らの過ちを悟った。




全裸の外国人が、きばりながら驚いた表情でこちらを見ていた。




ーーーーーー 時が、止まった ーーーーーー




今、世界にいるのは私達2人だけだ。止まった時間の中で、私と外国人が見つめ合っている。


公衆トイレという狭い空間の中で、「ジョボボボボ」という音だけが私達の国際交流を祝福していた。


確かに人はいなかったはずだ。いや、私が確認したのはドアが開いているという事実だけだ。私のオナラで召喚してしまった可能性もある

トイレのドアを開けてう◯こをしているのはなぜ? 海外ではそういう文化なのかもしれない。いつも家ではドアを開けていて、つい外出先でも開けたまましてしまったのかもしれない。

あ、少しフレディ・マーキュリーに似てるなぁ

私より驚いた顔をしている。なぜ??

上半身の服を脱いでいる。フレディ・マーキュリーだからか???


考えれば考える程、私は混乱した。フレディ・マーキュリーの激しい妨害の中、必死に考えをまとめる。視界には驚いた顔をしてこっちを見る全裸のヨーロッパ人風の男性が未だに映っている。視線を正面に戻せと脳から指令を送るが、身体はそれに反し動かない。人間は衝撃的な体験をした時に身体の自由が効かなくなるというが、それは真実だったのだ。


永遠とも思える時間がそこにはあった。




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祝福が鳴り止み、ようやく私は視線を正面に向けることができた。ズボンのチャックをあげ、手を洗うために水道に向かう。


チラッとフレディ・マーキュリーを確認すると、再び目があった。真顔にはなっていたが、未だその両乳首は露わであった。


外に出ると、トイレに入る前と同じ日常がそこにはあった。当たり前だ。現実世界では数分の出来事である。なにか世界が変わったとか、大きな出来事があったわけではない。あれは妖精で、私の見た夢だったのではないか、そう思えてしまう。それなのに、私は妙な清々しさを感じていた。


それ以降、フレディ・マーキュリーには出会っていない。トイレに入ると彼のことを思い出してしまう。つい振り返るが、そこには使用されていないトイレがあるだけだ。しかし、いつかまた出会えるんじゃないかという希望を抱き、私は今日も振り返る。


がらがらのトイレで小便しているとき、背後に空いているドアがあったら確認してみるといい。


ほら、あなたの後ろにも...



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